日常動作が健康を創る…身のこなしのメソッド・自然身法

馮老師略歴

馮志強老師

2005年10月・北海道 2005年10月・北海道 2005年10月・北海道 2006年3月・北京 2006年10月・北京 2007年11月・伊豆 2007年11月・伊豆 2007年11月・伊豆 2008年3月・北京 2011年3月・北京 2011年3月・北京

中国武術・太極拳界の巨星 馮志強老師

 私の28年にわたる師であり、混元太極拳の創始者である、馮志強老師が2012年5月5日、天寿を全うされました。亨年85歳。奇しくも月が地球に最接近するというスーパームーンの日にでした。
 馮老師は、陳家太極拳第九代の名人陳発科の関門の弟子であり、その友人で中国気功の父と称えられる胡耀貞の弟子でした。二人の達人に同時に教えられ、後に両者の優れた所を融合して陳式混元太極拳を創始されました。 混元太極拳は、ゆったりとして心地よく、柔らかさと強さ、繊細さとおおらかさを併せ持ち、まさに自然身法そのものです。近年、太極拳が健康体操になり、あるいは競技スポーツ化する中で、心身を内側から鍛えるという本来の内功としての太極拳を今の時代に蘇らせたのです。
 武術家として生まれ、武術家として生き、先師の志を受け継ぎ、陳式心意混元太極拳を世界に広め、天寿を全うされました。数々の武勇伝でも知られ、最後の実戦の太極拳家とも称されました。いかつい面持ちとがっしりとした体格の反面、いつも周りの人を気遣うやさしさは皆に慕われました。
 老師の遺されたすばらしい混元太極拳が今後も世界中に広まっていくことを願わずにいられません。           自然身法研究会代表 日本混元太極研究会理事  出口衆太郎

馮志強老師の拳歴、内功歴

 混元太極拳宗師第一代、陳式太極拳十代伝人、
1928年1月11日、河北省東鹿県生まれ。1936年(8歳)叔父の王雲開老師に少林童子功を習い始める。1939年(11歳)北京で仕事の傍ら、1945年(17歳)通背拳の名家、韓暁峰老師に通背拳を学び始める。
 1948年(20歳)さらなる功夫を求め、兄弟弟子・田秀臣老師の紹介で胡耀貞老師の門を叩き弟子となり心意拳と気功・内功を学ぶようになる。胡耀貞老師は、中医師であり、心意内功・道家気功の達人として知られていた。伝統内功を医療気功とし広め、現代気功の父とも評される。そして、陳式太極拳第九代、陳発科老師の古い友人であった。当時、発科老師は、中国武術界の実力第一人者と知られていた。
 馮老師は1952年(24歳)胡耀貞老師の紹介で陳発科老師の弟子となる。発科老師が1957年に他界するまで、関門弟子として発科の次男・陳照奎と共に特訓を受けた。
 陳発科・胡耀貞両先師は、内功武術の精髄を後世に伝えるため1953年北京にて首都第一武術研究社を立ち上げられた。兄弟弟子李経悟・田秀臣各老師と共に馮志強老師らが設立準備した。
 陳発科・胡耀貞両師は、互いに影響を受け合い、両武術の清華を馮老師に伝えていかれた。両師亡き後、馮老師は研鑚に研鑚を重ね、両先師に学んだ陳式太極拳と心意混元内功を融合して陳式心意混元太極拳を創出されたのである。現在、混元太極拳として、中国各地は言うに及ばず、世界30カ国を超える国々に広がっている。
 北京市武術協会副主席、北京市陳式太極拳研究会会長、北京志強武館館長など、国内外の100を超える武術団体の名誉会長や顧問を務められた。

 馮志強老師は、中国武術界において実戦武術家としての名声が高く、また、身長170センチメートル、体重85キログラムの屈強な体格、迫力漲る表情からもそうした印象が強かったようである。手合わせに関する伝説的なエピソードも多い。しかし、実際に教えを受けると老師の別の面もうかがえた。陰陽哲学、道教、仏教に造詣が深く、武徳を重んじる人格者、新鮮な気の満ちた自然を愛するナチュラリスト、冗談が好きで笑顔の優しい人柄など。老師の陳式混元太極拳の演武は、力強くも極めて柔らかく、自然であり、霊妙な気の流れを感じさせるものであった。
 
馮志強老師&出口衆太郎代表&兄弟弟子ハリソンさん
練功を終え、くつろぐ馮志強老師と出口代表、兄弟弟子ハリソン・モレッツ氏(米国道教学院院長)

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